「構造的危機」とAMPの使命

安全基準の必要性

1. 序論:観光立国の「光と影」——15兆円の熱狂の裏側で

沖縄県は、政府が掲げる「2030年インバウンド外貨獲得15兆円」という壮大な目標において、その中核を担う世界的リゾート地へと成長を遂げました。2025年(令和7年)、沖縄の入域観光客数は過去最高水準を記録し、エメラルドグリーンの海はかつてない熱狂に包まれています。

しかし、その華やかな経済成長の影で、マリンレジャーの現場は深刻な、そして「構造的」な危機に瀕しています。

突きつけられた「死者52名」という現実

沖縄県警察の最新統計によれば、2025年の県内水難事故発生件数は115件、事故に遭遇した罹災者数は136名に達しました。中でも衝撃的なのは、死者・行方不明者が52名を数え、再び50名の大台を超えたという事実です。海上保安庁の統計(219人/73人)との乖離を鑑みれば、現場の実態はさらに深刻であることは明白です。

これらの事故は、単なる「利用者の不注意」で片付けられるものではありません。背景には、長年放置されてきた業界特有の**「構造的な欠陥」**が存在します。私たち一般社団法人マリンレジャー振興協会(AMP)は、この負の連鎖を断ち切り、人命と環境を守る「インフラ」として機能するために設立されました。

現場の危機はもはや「個人の努力」の限界を超えています。


2. 課題①:極端に低い参入障壁が生む「ガイドの質の二極化」

沖縄県内には、現在約4,025件(2025年末時点、県警届出数)ものマリンレジャー事業所が存在します。この数は市場規模に対して過剰であり、供給過多の状態にあります。

泳げなくても「プロ」を名乗れる法的空白

最大の問題は、参入障壁の極端な低さにあります。ダイビングを除くシュノーケリング、SUP、カヌーなどのガイド業には、法的に義務付けられた「国家資格」が存在しません。極端な例を挙げれば、海の知識が乏しい者であっても、公安委員会へ届出用紙を1枚提出するだけで、翌日から「プロのガイド」として開業できてしまうのが現状です。

この法的空白地帯(グレーゾーン)が、安全意識やレスキュースキルの欠如した事業者の参入を許し、重大事故の温床となっています。


3. 課題②:過当競争が生む「負のスパイラル」の因果関係

事業者の乱立は、必然的に「過度な価格競争」を引き起こします。Web上では、安全対策よりも「安さ」を売り文句にする広告が溢れています。適正価格を維持できなくなった事業者は、生存のために「本来削ってはならないコスト」を削減し始めます。

  1. 人件費の削減: 経験豊富なベテランガイドを維持できず、未熟なスタッフや無資格者に現場を任せる。「1人船長(船頭)」での操業が常態化し、緊急時のバックアップ体制が消失する。
  2. 設備投資の先送り: 船舶のエンジンメンテナンスや救命設備の更新を怠る。
  3. 安全教育の欠如: トレーニング時間を削り、回転率を重視した運営を行う。

結果としてサービスの質が低下し、事故が発生します。事故が起きれば沖縄のブランドイメージが毀損され、さらに単価が下がる。この「負のスパイラル」こそが、年間52名の命を奪う根本原因です。


4. 課題③:環境資源の「コモンズの悲劇」

安全面だけでなく、沖縄観光の源泉である環境面においても危機は深刻です。サンゴ礁は沖縄最大の観光資産ですが、法的な保護が及ばない海域では、無秩序なアンカリング(錨の投下)によるサンゴ破壊が常態化しています。

これは経済学でいう**「コモンズの悲劇(共有地の悲劇)」**です。 誰もが自由に利用できるがゆえに、誰も管理コストを負担せず、資源が食いつぶされていく。恩納村や石垣島、慶良間海域で顕在化しているオーバーツーリズムの問題は、もはや事業者のモラルや自主ルールだけに頼る限界を超えています。


5. 解決策:AMPが提示する、命と環境を守る「第三の道」

規制(行政)と自由(民間)の隙間に落ちたこれらの課題に対し、AMPは独立した中立的第三者機関として、以下の「仕組み」を実装しています。

(1) 安全の可視化:SDO認証の推進

沖縄県警察本部の外郭団体(OMSB)と連携し、「SDO(Safety Diving in Okinawa)認証制度」の普及を強力に支援しています。単なる届出ではなく、保険加入、AED設置、救命訓練の実施といった厳格な基準を満たした「安全対策優良事業者」を可視化。消費者が「価格」ではなく「安全」という価値で選べる市場環境を構築します。

(2) テクノロジーによる救命インフラ:SEAKERの見守り網

総務省事業として実装した、GPSトラッカー「SEAKER」を活用した「海の見守りサービス」は、半径100km圏内をリアルタイムで監視可能です。漂流や海難事故が発生した際、正確な位置情報を即座に特定することで、救助時間を劇的に短縮し、救命率を向上させます。

(3) 学術的知見による「形式知」への転換

現場の「体験知」を「エビデンス(科学的根拠)」に変えるため、名桜大学などの学術機関との連携を進めています。野外教育学やリスクマネジメントの観点から、業界の安全基準を再定義。個人の経験則に頼らない、再現性の高い安全教育カリキュラムの構築を目指しています。


6. 次年度計画:データ駆動型社会に向けた「デジタルプラットフォーム構想」

AMPでは、今後のマリンレジャーのさらなる健全化に向け、**「マリンレジャー安全・環境デジタルプラットフォーム」**の開発を次年度に向けて計画しています。

事故を未然に防ぐ「予兆」の集約(案)

現在検討中のこの構想は、日々の「ヒヤリハット(事故の予兆)」データや、気象・海況データをデジタル上で集約・分析するものです。

  • どの海域で、どのような条件下で事故のリスクが高まるのか
  • 現場事業者が共有すべき「危険の芽」はどこにあるのか

これらのデータを蓄積し、将来的には学術機関へ分析案として提案・相談を行うことで、科学的な「安全予報」の発信や、エビデンスに基づいた政策提言を行える体制を構築したいと考えています。これは、大学側の知見を社会実装するための「受け皿」としての機能を想定したものです。


7. 環境保全と経済の調和:守ることが稼ぐことに繋がる仕組み

石垣島などでAMPが設立を支援した「係留ブイ設置協議会」は、漁業者、観光事業者、行政が同じテーブルにつき、合意形成を図るための共通基盤となりました。

環境保全にかかるコストを、入域協力金やブイ利用料として適正な対価で回収する。 「守る」ことが、地域の「資産価値」を高め、結果として事業者の利益に繋がる。 このような持続可能なエコシステムの実装こそが、AMPが目指す地域経済の姿です。


結び:Human Life First. ——人命こそが、唯一無二の価値である

人命よりも優先される経済利益など、この世に存在しません。 沖縄の海を、単なる「安売りの消費地」として使い潰すのではなく、世界中の人々から「最高に安全で、豊かである」と選ばれる持続可能な聖地へと転換させる。

それが、私たち一般社団法人マリンレジャー振興協会(AMP)の果たすべき社会的責任です。